宇宙の理(1)
魂の目標は転生を繰り返して浄化していき、純粋な光になることです。
まず人間はポジティブと呼ばれる光の部分とネガティブと呼ばれる闇の部分の両方を持って生まれてきます。ネガティブは産まれる時につけられたもので重しのようなものです。
ネガティブはいらないと思うかもしれませんが必須なものです。
人が全員優しくて人をそのまま受け入れたら天国と同じ状態になって、人とのいさかいや忍耐が必要な事が起こらなくなります。
それだと修行の場で無くなってしまいます。
地球には地獄にいた人も天国にいた人もみんな混ざって転生してきます。
そして人生で様々な経験をして(試練含む)魂を磨きます。
どこの家庭に生まれてどのような容姿でどのような人生を歩むかは大まかに本人が決めてきています。
自分の人生に不満がある人もいるでしょうが、自分で決めてきています。
決める段階では魂の状態で負の感情がありません。その為傷ついたり苦しんだりしないのです。
だから率先して経験しようとします。
試練が多いほど修行になり光が大きく強くなるからです。
そして何度も転生してどんどん闇の部分を減らして純度の高い光へとなっていきます。
徳が高くなるとも言いますね。
では光が増えるという事はどういう事でしょうか?
例えば気が軽くなるという言葉がありますよね。
ポジティブな感情(嬉しい、楽しい、愛する等)を抱くと気が軽くなります。
反対にネガティブな感情(悲しみ、苦しみ、憎しみ等)を抱くと気が重くなります。
気が軽くなるとは波動が上がって高くなった状態です。これが光が増えた状態です。
そして逆に気が重くなるとは波動が下がって低くなった状態で闇が増えます。
生きていると悲しかったり苦しかったりネガティブな感情が増えていく経験が沢山あります。
上手くストレス解消したり浄化していかないと、ネガティブな感情はどんどん溜まっていきます。
そして貯め込み過ぎると人は暴走したり感情に振り回されるようになります。
負の感情は決して切り離せるものでは無いので否定せずに受け入れてください。人間である以上負の感情は無くならないものです。でもそれでいいのです。弱くて未熟なのが人間ですから。
自分のダメな部分も認めて愛してあげてください。
大切なのは光と闇のバランスをとる事です。
そして第一に優先するのは自分を大切にして愛すること。
もし心が疲れたら心が喜ぶ事をするようにしましょう。時には存分に自分を甘やかしてあげてください。あなたはいつも頑張っているのですから自分へのご褒美です。心が喜ぶ事をして波動を高めましょう。
光が強い人は人を惹きつけます。
貴方の周囲にも話してると元気をもらえたり癒される人がいるのではないでしょうか?そういう人は波動が高い人です。
逆に闇が多い人は人に嫌われます。不平不満ばかりで話していると気が重くなる人は波動が低い人です。できるだけ関わらない方が良いでしょう。自分まで波動が下がってしまいますから。
たまに機嫌が悪く人まで不愉快にする人がいますがあれはいけません。自分の機嫌は自分でとらないとダメです。
例え機嫌が良くなくても笑顔でいること。
そしてネガティブな言葉は使わないでください。
ポジティブな言葉を使いましょう。
言霊は現実に大きく影響します。
私たちは人として産まれる前は魂だけの存在で、いわゆるあの世という所にいます。
あの世では同じような魂レベルで階級分けがされていて、似た者同士が集まって集落を作っており自分に合った所に住んでいます。
闇の強い人の居るところは地獄というやつです。
そして転生を繰り返し光が強くなるにつれ上の方に行けます。上の方は天国です。
更に魂の浄化が進むと天使、神と階級が上がっていき最終的に純粋な光(源)になります。
闇を持った状態から魂を浄化して光(源)を目指すシステムになります。
人間界では神様と言うと別物な存在として人は認識して神社を建て奉っています。
でも実際は人間と同じ魂で種類が違うわけではありません。
ただ魂が大きくなって光が強くなっているだけです。
魂年齢が高いと転生回数が多いので自ずと天使とか神とか上の方になっていきます。
人間界で言うと役職みたいなものでしょうか。
係長→部長→役員→社長のように変化していくだけです。
最終的に源を目指して浄化していくシステムです。
小学校、中学校、高校と段階が上がっていくと勉強する内容が難しくなります。
人間界でも同じように魂レベルが高い人ほど試練が過酷になっていく傾向が強いです。
私は地球側から人々の波動を上げるのを手伝うメッセンジャーして送り込まれました。神のメッセージを受け取って伝えるには同じくらい波動が高くないと無理だからです。
場所や人を癒し浄化する役割もあります。
あちらからも波動を上げていますが、地球側からもあげるために送りこまれています。
天界では「人を癒すには経験あるのみ。転んだものにしか転んだ痛みは分からない。同じ痛みを味わって傷を負い、人の心に寄り添って癒しなさい。」という見解です。