人は何のために生まれてきたのか(2)
(1)で予め自分で人生の枠組みを決めてきていると書きましたが、そこで何故わざわざ試練を設定しているのかについて説明したいと思います。
人間には肉体があります。
肉体は3次元で波動が低く、ネガティブな感情が付着しています。
そのせいで本来より魂の波動も下がってしまい自分軸もグラグラの状態になります。
その為心が揺さぶられる事があると感情に振り回されて人は気持ちが乱高下します。
良くも悪くも心が大きく揺さぶられる経験によって魂は成長し器が大きくなっていくので、低い状態になるように設定されているのです。
一方魂は肉体が無い状態では波動が高く自分軸がしっかりしている状態です。そして何より厄介なネガティブな感情がありません。
人間だと試練だと思う経験も何処吹く風。そんなもので振り回されて自分が傷つく事もありません。
魂の状態だと辛い経験でむしろ喜んで体験している一面があります。
ゲームで強いボスに挑んで倒してレベルアップしたような感覚です。
この産まれる前の魂と人になってからの魂の状態のギャップが問題です。
産まれる前は皆競うように魂の成長させる為に積極的に試練を人生に組み込んできます。
でもいざ経験してみると辛いのなんの。
この試練の連続があまりに辛く、私は大いに後悔しましたが後の祭り、変更なんて出来ません。
諦めて乗り越えるしかないなと自分は修行僧だと思い込んで耐えてきました。
試練を沢山設定してきた人は「何故自分ばかりこんな辛い目に…。神なんていないんだ。」と思うのも無理はありません。
でも天界から見ると皆一生懸命頑張ってるな~位でドラマ感覚で見て楽しんでるんですよね。
私は今でも時々辛くなって変わって欲しい…。と思います。
今は感情に振り回される人間の自分と、本来の自分(ハイヤーセルフの一部)とが半々な感じで前よりは自分軸がぶれにくくなってきました。
今でも時々ネガティブに飲み込まれ一瞬でどん底まで行くのですが、光の自分がすぐ引っ張りあげる感じ立ち直りも早くなってきました。
あまりにも自分の光と闇部分が真逆すぎて時々葛藤が起こります。まるで自分が2人いるみたいに。
人間である限りこの葛藤は続くんでしょうね。
でもどんなにすごいと思われている人でも表に出していないだけで弱い部分は必ずあるはずです。
人間である以上その弱さは取り除けないのです。
弱いのは自分だけじゃないんですよね。
ただ前向きに生きている人は自分で感情をコントロールして上手く折り合いをつけているか、何か心の支えになる存在があるのでしょうね。